ファーマ行政書士事務所ブログ(薬事29)

「薬事法の変遷シリーズ」では、これまで1960年(昭和35年)の薬事法全面改正がいかにして成し遂げられたか、そしてその規制内容について詳しく解説してきました。

第4回となる今回は、1960年の改正では実現しなかったものの、わずか3年後の1963年(昭和38年)に「議員立法」という形で導入されることになった「薬局の距離制限(適正配置)」をテーマに取り上げます。

1960年の薬事法全面改正は、日本の薬事制度の骨格を完成させた画期的なものでしたが、実は薬局業界にとっては、大きな「宿題」を残したままのスタートでもありました。

1. 1960年改正で拒絶された「適正配置」

1960年の法改正に向けた議論の中で、日本薬剤師協会(日薬)は「薬局の適正配置(距離制限)」の法制化を強く要望していました 。当時の薬局業界では、業者数の増加に伴う競争が激化しており、経済的基盤を安定させることで薬事衛生の向上を図るべきだという主張が背景にありました 。

しかし、当時の厚生省(行政側)は、この要望を以下の理由から退けました。

  • 憲法問題: 薬局の新規開設を地域や距離で制限することは、憲法第22条で保障された「職業選択の自由」を侵害するおそれが極めて高い 。
  • 公益性の疑義: 配置規制によって既存業者の経済的基盤が守られたとしても、それが直ちに国民の薬事衛生向上に直結するという法的保障がなく、結果として既存業者の保護に終始するのではないかという懸念。

結局、1960年の新薬事法では「許可制」こそ導入されたものの、距離制限の条文化は見送られることとなりました。

2. 行政指導の限界と「議員立法」による突破

厚生省は法制化を見送る代わりに、1958年(昭和33年)には「薬局の適正配置に関する指導要領」を発出し、新規開設希望者に対して不足地域への誘導を行うなどの行政指導による解決を図りました 。

しかし、強制力のない行政指導では業界の納得は得られませんでした 。そこで、日薬会長であり参議院議員でもあった高野一夫氏らが中心となり、1963年、政府提出法案(閣法)ではなく「議員立法」という形で、ついに適正配置規制を盛り込んだ薬事法改正案を提出しました 。

この改正案は国会で可決され、都道府県知事が「薬局の配置が著しく不適正である」と認める場合には、許可を与えないことができるという規定が盛り込まれました。こうして、1960年に一度は「違憲のおそれ」として否定されたルールが、政治の力で法制化されることになったのです 。

3. 歴史の皮肉:最高裁「違憲判決」への伏線

この1963年改正によって導入された距離制限は、その後の薬局経営の安定化に寄与しましたが、同時に「既得権益の保護」であるという批判も根強く残りました。

そして1975年(昭和50年)、いわゆる「薬局距離制限事件」において、最高裁判所はこの規定を「公共の福祉に合致しない職業選択の自由の不当な制限」として違憲とする歴史的な判決を下します。1960年当時に行政当局が懸念していた憲法上の疑義が、十数年の時を経て現実のものとなったのです。

いかがでしたでしょうか。1963年の改正は、行政側の「法的整合性」と業界側の「現実的な要望」が激しく衝突し、一度は退けられた要求が政治の舞台で復活したという、日本の薬事法制史上極めて特異なエピソードです。

しかし、この時期の薬事行政が「業のあり方」を巡って揺れ動く一方で、水面下では国民の生命を揺るがす深刻な事態が進行していました。サリドマイド事件やスモン事件といった悲惨な薬害事件の発生です。

次回の第5回では、これまでの「業の規制」という枠組みを超え、薬害の教訓から「科学的根拠に基づく有効性・安全性の確保」へと劇的に舵を切ることになった、1979年(昭和54年)の薬事法大改正について解説します。現在のGMPや副作用報告制度、再評価制度の原点ともいえるこの大転換期を詳しく紐解いていきましょう。

📌 ファーマ行政書士事務所では、こうした法改正の歴史的背景も踏まえ、最新の規制動向に基づいた許可申請や実務サポートを行っております。薬事関係の法務でお困りの際は、ぜひファーマ行政書士事務所へご相談ください。

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投稿者プロフィール

粂 昌治
粂 昌治
1987年塩野義製薬株式会社に入社。2011年まで中央研究所にて、感染症領域および癌・疼痛領域の創薬研究に従事。その間、1992年には、新規β-ラクタム系抗菌薬の創製で博士(薬学)を取得。
1998年から1年間、米国スクリプス研究所に留学。帰国後、分子標的抗がん薬の探索プロジェクトやオピオイド副作用緩和薬の探索プロジェクトを牽引し、開発候補品を創製。2011年10月、シオノギテクノアドバンスリサーチ株式会社に異動となり、新規に創設された化学支援部門を担当し、軌道に乗せる。2013年には塩野義製薬株式会社医薬研究本部に戻り、外部委託管理、契約相談、化学物質管理などの研究支援業務を担当。2020年から3年間、創薬化学研究所のラボマネージャーとして、前記研究支援業務を含む各種ラボマネジメントを担当。2023年3月に定年退職。
2023年4月に、薬事・化学物質管理コンサルティングを行う行政書士として、ファーマ行政書士事務所を開業し、現在に至る。