ファーマ行政書士事務所ブログ(薬事22)

連載第3回となる今回は、明治時代中期以降、日本がいかにして現代に通じる「薬事法制」の骨格を完成させ、輸入頼みだった医薬品の「国産化」へと舵を切ったのかについて解説します。

■ 品質管理の国家標準:「日本薬局方」の誕生

明治政府による近代化政策の集大成の一つが、医薬品の品質の国家標準化です。1874年の「医制」で構想が示されたこの国家標準は、オランダ人医師ゲールツによる草案を基に、エーキマンらの協力を得て編纂が進められました。

そして1886年(明治19年)、世界で21番目の国定薬局方として初代「日本薬局方」が公布されました。これにより、医薬品の品質担保は、江戸時代の商人ギルドによる「経験的な真偽・量目の吟味」から、客観的で科学的な試験法に基づく「国家標準規格」へと劇的な転換を遂げたのです。現代の医薬品開発や製造においても欠かせない「局方」の歴史は、ここから始まりました。

■ 近代規制の礎:事業者や専門職を定義した「薬律」

品質基準の確立に続き、薬事に関わる「人」と「業」のルールも整備されました。1889年(明治22年)に公布された「薬品営業並薬品取扱規則」(通称「薬律」)です。この法律は、この時期の集成となるものでした。

「薬律」の最も大きな意義は、医薬品に関わる専門職と事業者を初めて法的に明確に定義した点にあります 。

  • 薬剤師・薬局:調剤を担う専門職と施設
  • 製薬者:医薬品を製造する事業者
  • 薬種商:医薬品を販売する事業者

ドイツ式の「医薬分業(医師が診断し、薬剤師が調剤する)」を理想として掲げたものの、当時の日本は薬剤師が不足していたため、現実的な対応として附則で医師が調剤を続けることを認めるという苦肉の策も取られました。理想と現実の狭間で揺れ動きながらも、近代的な規制の骨格がここで形作られたのです。

■ 医薬品「国産化」の真の触媒となった第一次世界大戦

明治期の法整備は、主に西洋薬の「輸入・販売・調剤」を規制する側面が強いものでした。日本が本格的な「製薬国」へと舵を切る直接的な契機となったのは、法律ではなく「戦争」でした。

1914年(大正3年)、第一次世界大戦が勃発すると、当時世界の「くすり工場」であったドイツからの医薬品輸入が完全に途絶してしまいます。これにより国内の医薬品は欠乏し、薬価は高騰、日本の医療は麻痺状態に陥りました。

この国家的な供給危機に対し、動いたのはやはり道修町の薬業者たちでした。彼らは政府に建言して官民一体の「臨時薬業調査会」を設置させ、自らも委員として参加しました。この答申に基づき、翌1915年(大正4年)に「染料医薬品製造奨励法」が制定されます。国内の製薬事業に手厚い保護と助成が行われるようになり、それまで輸入に頼っていた医薬品の「国産化」プロジェクトが国家を挙げて本格的に始動したのです。

次回はいよいよ最終回。江戸・明治から続くこの歴史が、戦後の目覚ましい発展と薬害の試練を経て、いかにして現在の「薬機法」へと繋がっているのかを総括します。

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投稿者プロフィール

粂 昌治
粂 昌治
1987年塩野義製薬株式会社に入社。2011年まで中央研究所にて、感染症領域および癌・疼痛領域の創薬研究に従事。その間、1992年には、新規β-ラクタム系抗菌薬の創製で博士(薬学)を取得。
1998年から1年間、米国スクリプス研究所に留学。帰国後、分子標的抗がん薬の探索プロジェクトやオピオイド副作用緩和薬の探索プロジェクトを牽引し、開発候補品を創製。2011年10月、シオノギテクノアドバンスリサーチ株式会社に異動となり、新規に創設された化学支援部門を担当し、軌道に乗せる。2013年には塩野義製薬株式会社医薬研究本部に戻り、外部委託管理、契約相談、化学物質管理などの研究支援業務を担当。2020年から3年間、創薬化学研究所のラボマネージャーとして、前記研究支援業務を含む各種ラボマネジメントを担当。2023年3月に定年退職。
2023年4月に、薬事・化学物質管理コンサルティングを行う行政書士として、ファーマ行政書士事務所を開業し、現在に至る。